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岡山地方裁判所 昭和41年(ワ)150号 判決 1968年7月31日

原告

福崎好明

代理人

横田勉

被告

与田秀夫

与田忠之

与田薫

代理人

甲元恒也

主文

1  被告与田秀夫、同与田忠之は原告に対し各自金一、三一四、一二三円およびこれに対する昭和四一年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告与田秀夫は原告に対し金九一、五〇〇円およびこれに対する昭和四一年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  原告の被告与田秀夫、同与田忠之に対するその余の請求および被告与田薫に対する請求はいずれもこれを棄却する。

4  訴訟費用中、原告と被告与田秀夫との間に生じたものおよび原告と被告与田忠之との間に生じたものは、いずれもこれを二分し、各その一を原告、その余を当該被告の負担とし、原告と被告与田薫との間に生じたものは、全部原告の負担とする。

5  この判決の第1、2項は仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告

「被告らは原告に対し各自金三、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四一年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする」との判決および仮執行の宣言。

二、被告ら

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決。

第二、請求の原因

一、事故の発生

被告与田秀夫(以下被告秀夫という)は、昭和四〇月七月三一日午前八時四〇分ごろ、自己所有の軽自動二輪車(登録番号岡お八〇―二一号)(以下本件二輪車という)を運転して岡山県児島郡灘崎町西高崎地内国道三〇号線を南から北に向けて時速約五〇キロメートルで進行中、同所を第二種原動機付自転車を運転して北から南に向けて対向進行してきた原告に本件二輪車を正面衝突せしめて同人を転倒させ、よつて同人に対し入院加療五カ月を要する左大腿骨々折、左脛骨顆骨々折等の傷害を負わせた。

二、被告らの責任

(一)被告秀夫の責任

本件二輪車は、被告秀夫が昭和三九年九月ごろ訴外有限会社平田商店から購入して所有するに至つたものであり、被告秀夫は本件事故発生当時これを自己のため運行の用に供していた者である。そして被告秀夫は、本件事故発生の前夜勤務先の岡山市七日市一七六番地訴外日本織物株式会社(以下訴外会社という)で深夜勤務をなした後、極度の睡眠不足であつたにもかかわらず、運転休止の注意義務に違反して玉野市にある被告秀夫の親元たる被告与田忠之(以下被告忠之という)、同与田薫(以下被告薫という)のところへ帰る途中、居眠り運転をした過失により本件事故を惹起したものである。

よつて、被告秀夫は、本件事故による後記損害のうち、物的損害について民法第七〇九条により、人路損害について自動車損害賠償保障法第三条本文によりそれぞれ賠償すべき義務がある。

(二)被告忠之、同薫の責任

(1)被告秀夫は、本件事故発生当時満一九才四月の未成年者であり、被告忠之、同薫は被告秀夫の親権者たる父母として同人を監督すべき法定義務者であつた。そして、被告忠之、同薫は本件事故発生の前年被告秀夫の求めに応じて本件二輪車を買与え、かつ同人が訴外会社において深夜勤務をしていたことは十分知つていたのであり、勤務後休息もとらずに直ぐ本件二輪車を運転して親元へ帰ることは睡眠不足に基づく疲労のため事故を惹起する危険があるから、これをやめるよう日頃から監督注意する義務があるにもかかわらず、これを怠つていたものである。責任能力のある未成年の親権者については、民法第七一四条の適用がないとしても、かかる場合同条は監督義務者の責任について不法行為の一般原則を制限する趣旨ではないと解すべきであるから、被告忠之、同薫はその親権に服する被告秀夫が惹起した本件事故によつて生じた後記損害を民法第七〇九条によりすべて連帯して賠償すべき義務がある。

(2)仮に、前記監督義務違反による不法行為責任が認められないとしても、被告忠之、同薫はいずれも本件二輪車を自己のために運行の用に供していた者である。

すなわち、本件二輪車の所有名義は被告秀夫になつているが、これを購入するに際しては、同人の貯えのみでは不十分だつたので頭金一〇〇、〇〇〇円のうち半額の五〇、〇〇〇円を被告忠之が負担し、さらに残代金の月賦金(月額八、〇〇〇円)支払も三、〇〇〇円ないし五、〇〇〇円を負担している。いうなれば忠之らの協力なくして購入できなかつたもので実質は被告ら親子の共有と言える。このように被告忠之が被告秀夫の本件二輪車購入に協力するに至つた動機は、被告薫が殆んど一人で営んでいる農業を手伝うため、被告秀夫が訴外会社から迅速に家へ帰るのに好都合だつたからであり(被告忠之は訴外三井造船株式会社玉野造船所に工員として勤務している)現に賦入の際被告秀夫は農繁期には家に帰つて手伝うよう被告忠之、同薫より頼まれていたのである。そして、本件事故発生当時は、ちようど田草取りの農繁期にあたり、被告秀夫はその手伝いのため家へ帰る途中であつた。

そうすると、本件二輪車は被告忠之、同薫の負担においてもその運行が維持され、また本件二輪車購入の際の前記約束が忠実に守られていたのであるから、本件二輪車の運行につき被告忠之、同薫の支配が及んでいたといいうるし、その運行利益も両名に帰属していたことは明らかである。よつて、被告忠之、同薫の両名は、本件事故による後記損害のうち、人身損害について自動車損害賠償保障法第三条本文により、それぞれ賠償すべき義務がある。《以下省略》

理由

一請求原因一の事実(本件事故の発生とこれによる原告の受傷)は当事者間に争いがない。

二被告秀夫の責任

被告秀夫が、本件事故当時本件二輪車を自己のために運行の用に供していたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、被告秀夫は勤務先の岡山市七日市一七六番地訴外会社で、本件事故前夜の午後一〇時半ごろから事故当日の午前五時まで深夜勤務をなし、風呂、食事を済ませた後本件二輪車を運転して国道三〇号線を玉野市木目一、一四四番地被告忠之、同薫方へ帰る途中岡山県児島郡灘崎町西高崎地内にさしかかつたが、そのころより前夜の深夜勤務による疲労と睡眠不足から眠気を覚え、ために前方を注視することも、ハンドル、ブレーキ等の確実な操作もできない状態にあつて正常な運転ができない虞があつた。このような場合、運転者としては、一旦運転を休止し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにも拘らず、被告秀夫はこれを怠り、仮眠状態のまま漫然運転を続けた過失により、折柄同付近を第二種原動機付自転車を運転して対向進行してきた原告に全く気付かず、左カーブとなつているのにそのままハンドルを左に切ることなく道路中心線を越えて直進し、そのまま原告に正面衝突した結果、本件事故を惹起したものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。

したがつて、被告秀夫は本件事故による後記損害のうち、物的損害について民法第七〇九条により、人身損害について自動車損害賠償保障法第三条によりそれぞれ賠償責任がある。

三被告忠之の責任

(一)  被告秀夫が本件事故当時満一九才四月の未成年者であり、被告忠之、同薫が被告秀夫の父母で、かつ親権者であつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、被告秀夫は本件事故の前年新制高校を卒業と同時に訴外会社に就職したが、自宅から通勤するのは種々不便が伴つたので同社の独身寮で生活している事実が認められる。右事実によれば、被告秀夫が民法第七一二条にいわゆるその行為の責任、すなわち法律上の責任を弁識するに足るべき知能を有していたことは明らかである。

そこで、仮に原告主張の如く、未成年者に責任能力ある場合においても、その監督義務者たる親権者は全く責任を免れるわけではなく、監督義務違反と損害発生との間に因果関係が認められれば、一般の不法行為の原則に基づいて損害賠償責任を負うとする見解を採用するとしても、本件の場合被告忠之にその責任を認めることは困難である。

けだし、親の未成年者に対する監督義務の内容および程度は一律に決定されるべきものではなく、未成年者が独立して正常に判断をなしうる程度と相関的に決定されるのが合理的であり、したがつて未成年者の能力が成年者のそれに近づけば近づくほど親権者の監督義務もこれに比例して狭くかつ弱く、いいかえれば包括的、抽象的なもので足りると解すべきところ、<証拠>によれば、被告秀夫は日頃から夜勤後直ぐ家へ帰るのは睡眠不足で危険であるから気を付けるよう被告忠之もしくは同薫より忠告されていた事実が認められ、右認定に反する被告忠之本人尋問の結果は信用できない。

そうすると、満一九才余で親元を離れて独立した生活を営んでいる被告秀夫に対する被告忠之の監督義務は、右認定の如く睡眠不足であるから気をつけるよう忠告したことをもつて一応尽されており、それ以上に本件二輪車の使用、運転を禁止する等事故発生の防止義務までは負つていないと解するのが相当である。したがつて、監督義務違反に基づく被告忠之の本件事故による賠償責任はないといわなければならない。

(二)  本件二輪車の登録が被告秀夫名義でなされていること、および本件二輪車購入の際の頭金一〇〇、〇〇〇円のうち半額の五〇、〇〇〇円を被告忠之が支出したことは当事者間に争いがない。<証拠>によれば、本件二輪車は昭和三九年九月被告忠之の知り合い先である訴外有限会社平田商店より代金一八八、〇〇〇円で購入されたが、その購入にあたつて、被告忠之は被告秀夫と共に前記平田商店へ赴き同店経営主の平田貞夫と折衝の末、残代金八八、〇〇〇円については毎月八、〇〇〇円宛被告秀夫の給料より支払うこととするが、同人が支払不能の場合には被告忠之が責任を持つ旨暗黙の合意が同人と平田との間に成立していたこと、その際両名は懇意な間柄であるうえ平田も被告忠之を信用していたので正式の契約書は作成しなかつたこと、被告秀夫は当時訴外会社より、深夜勤、残業などをして毎月平均手取り一五、〇〇〇円前後の給料の支給をうけていたが、時には右の収入のみでは八、〇〇〇円の月賦金支払いに不足を来たすことがあつたのでその不足分は被告忠之がこれを補い、なお被告秀夫の給料日と月賦金支払期日とがいずれも月末であつたため、大抵の場合被告忠之が右不足分に立替分を合わせた月賦金を平田方へ持参していたこと、本件事故当時右月賦金の支払は未だ二回分残つていたこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。さらに、<証拠>によれば、被告忠之宅は田五反畑三畝程度の農地を所有しており、被告忠之が三井造船株式会社玉野造船所の工員として勤務している関係上、その耕作には主として被告薫が従事し、被告忠之がこれを補助する状態であつたが、同人が病弱のうえ女手一人の労働力では不十分であつたので、被告秀夫が高校在学当時から農繁期には学校を休んで手伝う等してきて手薄な被告忠之宅の労働力を補う意味で少くない役割を担つていたこと、訴外会社に就職後もやはり平常は月一、二回農繁期には月四、五回会社を休んで手伝いのため家へ帰つていたこと、本件事故はちようど田草取りの時期で、被告秀夫はその手伝いのため家へ帰る途中発生したことが認められ、右認定に反する被告忠之本人尋問の結果は信用できない、他に右認定を覆すにたりる証拠はない。以上の事実よりすると、被告秀夫が本件二輪車を購入するに際して、被告忠之がこれに同意を与えたばかりでなく、頭金の半額を負担し、残代金の支払を保証する等の援助を惜しまなかつたのは、子の欲しがるものを少しでも早く与えようという親の愛情に尽きるものとばかりは言い切れず、農繁期には被告秀夫が迅速簡便に帰宅することが可能であるとの打算もある程度存在したこと、被告秀夫も被告忠之のこのような気持は十分察知していたことが推認されるので、これと前記認定事実とを合せ考えると、被告忠之は被告秀夫の本件二輪車の運行により、自家の農業の手伝いを受ける運行利益を享受していたものと認めるのが相当である。

もつとも、前記の如く本件二輪車の登録は被告秀夫名義になされているうえ、被告秀夫は本件事故前年新制高校卒業と同時に訴外会社に就職し、以後会社の寮で寝食をなし被告忠之とは日常の共同生活をともにしない一応独立自活の道を歩んでいるのであり、さらに<証拠>によれば、本件二輪車の燃料代その他の維持費は被告秀夫が自弁しており、また本件二輪車は平常は訴外会社もしくは同会社寮に置かれている事実が認められ、右事実のみに注目すれば本件二輪車の運行に対する被告忠之の支配は及んでいないと解する余地もないではない。しかし、前記認定事実よりすると、本件二輪車の購入は、いわば被告忠之の信用によつてなされたものと解され(もし被告秀夫のみが単独で交渉したならば、訴外平田がこれに応じたか否かは甚だ疑問である)、その後の月賦金支払が滞りなく続けられたのも、多分に被告忠之の不足分に対する援助に負うものであつたことが無視できず、またこれと裏腹の関係において手取り一五、〇〇〇円程度しか収入のない被告秀夫が本件二輪車の維持費を自弁することが可能であつたと考えられる。また、被告秀夫は被告忠之と別居しているとはいうものの、被告秀夫の勤務する訴外会社の所在地(岡山市七日市一七六番地)と被告忠之宅(玉野市木目一、一四四番地)との距離が二〇キロメートル余であることは当裁判所に顕著な事実であり、したがつて軽自動二輪車を運転して平均時速四〇キロメートルで走行すれば、その所要時間は三〇分前後であることも計算上明らかである。そして、現に被告秀夫は、一般の遠隔地に働きに出ている者が盆と正月に帰省するといつた程度より可成り頻繁に、すなわち平常でも月一、二回、農繁期には四、五回帰宅していることは前記認定のとおりである。さらに、本件事故後本件二輪車は訴外平田方において六〇、〇〇〇円で下取り処分され、右金員は被告忠之が自己のものとして収めている事実が被告忠之本人尋問の結果によつて認められるが、右事実は被告主張の如く本件二輪車の購入および月賦金支払に対する被告忠之の援助が単なる資金の融通およびその回収を意味するものに過ぎないと解すべきではなく、むしろ前記の経緯より被告忠之は被告秀夫と共に本件二輪車を実質的に共有しているともいうべき関係上、本件二輪車の運行についてはその購入当初より決して無関心ではなかつたことの一資料と解すべきである。結局、以上を総合すると、本件事故当時被告忠之の本件二輪車に対する運行支配は全く及んでいなかつたということはできず、同人も被告秀夫と並んで本件二輪車の運行に対する支配を競合的に有していたと認めるのが相当である。

そうすると、被告忠之は本件事故による後記損害のうち、人身損害について自動車損害賠償保障法第三条により賠償責任を有することとなる。

四被告薫の責任

(一) 被告薫が監督義務違反による損害賠償の責任を有しないことは、前記三の(一)の被告忠之に対する判断と同様である。

(二)  前記認定事実によれば、被告薫は事実上自家の農業の主宰者として、被告秀夫による本件二輪車の運行利益を被告忠之と共に享受していたことは明らかであるが、本件二輪車の購入およびその後の月賦金支払い等について被告忠之のように格別の関与をなしていたことを認めるに足りる証拠はないから、単に被告忠之と共に被告秀夫に対して共同親権を行使していたことの一事をもつては、本件二輪車の運行に対する支配を有していたとはいえない。その他本件全証拠によつても被告薫が本件二輪車の運行に対する支配を有していたとは認められない。したがつて、被告薫は本件事故損害について、自動車損害賠償保障法第三条による賠償責任はないといわなければならない。

五損害

(一)  物的損害 九一、五〇〇円

<証拠>によれば、原告が本件事故当時運転していた原動機付自転車(C九二ベンリイ号)は、昭和四〇年四月訴外三木商店より原告が一三五、〇〇〇円で購入したものであるが、事故後これを他の新車と買替える場合の下取価格三〇、〇〇〇円であることが認められる。

そして、事故時までに三カケ月以上使用されていたことが明らかであるから、事故当時の被害車両の価格は右購入価格より一割を償却した価格と見るのが相当であり、それと右下取価格との差額九一、五〇〇円が本件事故による損害というべきである。

(二)人身損害

(1) 積極損害

<証拠>によれば、原告は事故当日から同四一年一二月二四日まで岡山市西中山下川崎病院に入院治療し、主としてその間左記各額の費用を支出した事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はないから、原告はこれによつて同額の損害を被つたものということができる。なお、被告らは、左記各額のうち(ハ)交通費を除いたすべてにつき本件事故による損害として相当因果関係があるとはいえない旨主張するが、当裁判所は負傷の態様、入院期間等からして相当の支出と認め、これをすべて積極に解する。

(イ)入院中諸経費

A 栄養補給費 一四、七一〇円

病院の食事のみでは原告の増血は期待しにくいとの医師の指示により、外部の料理店、仕出屋等に注文して取寄せた副食物類の代金中同四一年九月一〇日までの分

B 栄養費 六、一五〇円

右と同趣旨および原告の迅速な体力回復をはかるため購入した牛乳、果物、玉子等の代金中前同期間の分

C 物品購入費 四、七九〇円

原告の入院中の用途に供するため購入した寝巻、さらし、下着等の衣類および食器、ちり紙、洗剤、タオル等日用品の代金で前同期間中に支出した分

D 新聞書籍費 一、四二〇円

前同期間中、原告の無聊を癒すため病院内で購入した新聞、週刊誌等の代金

E 氷代および電話代 五、二五〇円

入院当初原告の解熱用に買入れた氷代(三、一五〇円)および原告に付添看護していた妻悦美が主として入院期間中に玉野市の留守宅との通信連絡に使用した電話代(二、一〇〇円)の合計

F (イ)同四一年九月一一日以降の入院

中の諸経費 二五、〇五〇円

原告は入院後二ケ月を経過した頃には可成り回復し、松葉杖にすがれば便所へも独りで行けるようになつたので、昭和四〇年九月一一日以降はそれまで病院に泊り込みで付添い看護していた妻悦美は生後三カ月の女児の面倒をみなければならない事情もあり医師の許可を得て屡々留守宅へ帰るようになつたが、この間原告は三、四日おきに病院へやつて来る悦美より一、〇〇〇円ないし二、〇〇〇円程度の小遣を受取つていた合計額であるが、前掲証拠に弁論の全趣旨を総合すると、原告は右金員を九月一〇日までと同じように前記A、B、C、D等の諸費用として支出したことが推認うしるので、右支出額は原告の被つた損害ということを妨げない。

(ロ)付添人食事代 一一、〇六〇円

入院当初から同四一年九月一〇日頃まで病院に泊り込みで付添看護にあたつた妻悦美の食事代であつて、付添人を必要とする病状であつたのにこれを雇わないで妻が代つてしたものである右費用は当然本件事故による損害といつて差支ない。

(ハ)交通費 四二、七九〇円

妻悦美が原告の看護あるいは示談折衝のため病院と玉野市の留守宅間を往復した際のタクシーおよびバス料金二二、一七〇円と原告が適応訓練、示談交渉等のため外泊許可を受け帰宅したタクシー料金二〇、六二〇円との合計額

(ニ)医師、看護婦に対する謝礼

一六、六〇〇円

退院にあたり、原告を担当診察した長島、那須、草加各医師に対して謝意を表するために贈つたパーカー万年筆三本分の代金および看護婦に対する謝礼

(2) 得べかりし利益

(イ)休職期間中の給与損失額

七一七、九〇〇円

<証拠>によれば、原告は本件事故により昭和四〇年七月三一日岡山市西中山下八九番地川崎病院に入院し、その翌日から翌昭和四一年八月末日まで休職し、稼働できなかつた事実が認められる。

そして、平均賃金の算出方法として労働基準法第一二条第一項が、これを算定すべき事由の発生以前三カ月間の賃金を基準にしているところから、本件においても同様に算定するのが相当と解すべきところ、<証拠>によれば、原告は本件事故当時訴外太平住宅より平均一カ月六七、一〇〇円の給与をうけていた事実が認められる。しかし、<証拠>によれば、原告は住宅建築会社の営業社員という特殊性より、従前の契約募集実績に対する補償という名目で休職後四カ月間に合計一五四、四〇〇円を支給されている事実が認められるので、前記一三カ月の期間休職により得られなかつた給与総額八七二、三〇〇円より前記補償支給額を控除した七一七、九〇〇円が原告の被つた損害ということができる。

(ロ)ボーナス損失額 一〇四、六〇〇円

<証拠>によれば、原告は訴外太平住宅より昭和四〇年上半期六三、九〇〇円同年下半期四七、七九〇円、昭和四一年上半期八、八〇〇円、同年下半期二一、七一〇円のボーナスをそれぞれ支給されている事実が認められる。一般に、民間企業および諸官庁を通じて上半期と下半期のボーナス支給額は後者の方がより大であることは当裁判所に顕著な事実であり、<証拠>によれば訴外太平住宅においては営業社員に対するボーナスの支給基準は過去六カ月の実績により査定されることになつてはいるが、なお会社の営業成績も勘案されており、現に<証拠>によれば下半期のボーナス支給額は上半期のそれを上回つている事実が認められるので、必ずしも訴外太平住宅が前記一般社会におけるボーナス支給基準と異つた基準を採用しているものとは解されない。ところで、原告は前記の如く昭和四〇年八月より昭和四一年八月まで休職したため、支給基準となるべき実績が消滅し、昭和四〇年下半期以降三期分のボーナス支給額が昭和四〇年上半期支給額を下回つたものと推測されるので、少くとも右支給額と昭和四〇年下半期以降三期分の各支給額との各差額は原告の被つた損害ということができる。そして、原告の主張する金額が右差額合計(一一三、四〇〇円)の範囲内にあることは計算上明らかである。

(ハ) 復職後四カ月間の損失額

八二、九九六円

<証拠>によれば、訴外太平住宅営業社員(主任)の給与体系は、①基本給、②契約職務手当、③通勤手当、④主任手当、⑤契約手当、⑥諸手当(募集手当、超過募集手当、給付契約締結手当、転用給付手当等)をもつて組成されており、右④以下の各手当は過去一定期間内(おおむね三カ月)における契約高、その他の実績の査定に基づく能率給もしくは歩合給であること、したがつて約一年余の休職後昭和四一年九月より復職した原告に対しては査定の対象たる過去の実績が消滅して存在しないため、原告は復職後四カ月間は右各手当を全く支給されないか、もしくは本件事故より下回つた額しか支給をうけられなかつたこと、したがつて右期間内における原告のうけた給与総額は本件事故当時のそれに較べると可成り低額であることがそれぞれ認められる。

そして、前記の如く休職後四カ月間はなお過去の実績が考慮され一定額の補償が支給されたからしても、復職後四カ月以降は査定の対象たる実績も復活することが推測されるので、右復職後四カ月の期間内に支給された給与額一八五、四〇四円と原告の本件事故当時における前記一カ月平均給与額の四カ月分二六八、四〇〇円との差額八二、九九六円は原告の被つた損害ということができる。

(ニ)休職期間中不昇給による損失

二七〇、八〇七円

<証拠>によれば訴外太平住宅営業社員(主任)に対しては毎年一月および七月に定期昇給が行なわれ、その昇給範囲は昭和四一年一月以降は、五〇〇円以上一、〇〇〇円以下であること、右範囲内における具体的な昇給額は査定期間一カ月の平均成績および査定期間期末月度継続額等の実績による等級区分(一級より一一級以上まで)に従つて決定されていること、原告の本件事故当時における等級は五級以上一〇級未満であつたこと、右等級該当者の昇給額は六〇〇円であること、原告は前記休職により昭和四一年一月期および同年七月期における定期昇給がうけられなかつたことがそれぞれ認められる。そして弁論の全趣旨によれば原告が右昇給期においても本件事故当時の等級を維持することは可能であつたが推認されるので、原告は右昇給期に各六〇〇円昇給されなかつたことより、復職後は毎月一、二〇〇円、したがつて年額一、四四〇〇円の損害を被ることになる。ところで<証拠>によれば、原告は本件事故当時満三〇才九月であつたこと、訴外太平住宅営業社員には定年制のないことが認められ、当裁判所に顕著な第一一回生命表(厚生省統計調査部作成)および政府の自動車損害賠償保障事業損害査定基準(運輸省自動車局保障課作成)によれば、満三一才の男子の平均余命は39.16年、就労可能年数は三二年間であり、原告本人尋問の結果より推認しうる原告の本件事故以前の健康状態およびその職種よりみると、原告は復職後三二年働き続け得ると推認することができる。したがつて、原告は本件事故により前記一四、四〇〇円の三二年間分の損害を被つたものというべきところ、これを年毎ホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を差引いて本件事故当時における一時払の現在値を求めると二七〇、八〇七円(円未満切捨)となることが計算上明らかである。

なお、原告は右の他に、復職後本件事故により損傷した原動機付自転車の代りに普通乗用自動車を使用していることに基づく維持費の増大を損害として主張している。

<証拠>によれば、原告は復職以前の昭和四一年六月頃玉野自動車教習所で教習をうけ、普通免許を取得し、その頃普通乗用自動車(トヨペット、一五〇〇CC)を購入し、復職後は右自動車を通勤および契約募集の仕事に使用していること、しかし右のように普通乗用自動車を使用するようになつた動機は、後記後遺症のため運転操作上多少の不便を伴うものの原動機付自転車の運転が全然不可能となつたからではなく、主として本件事故によつて原動機付自転車に対する恐怖心を消すことができなかつたからであることがそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。

なるほど、原告のような外勤、外交の比重の大きい営業社員にとつては、契約を募集するに際して機動力を要することは十分推測されるところであるが、果して自家用車を保有することまで必要欠くべからざるものであるかの点についてはこれを認めるに足りる証拠がなく、仮に必要不可欠であることが認められるとしても、原告本人尋問の結果によれば、訴外太平住宅においては通勤を社員の自家用車で行うよう義務づけている事実はなく、かえつて通勤手当を月額一、〇〇〇円ないし二、〇〇〇円支給しており、原告も復職後これの支給をうけている事実が認められる。このような事情のもとで、普通乗用自動車の使用による維持費増大を本件事故による損害とすることは困難であり、他にこれを認めうる証拠はない。よつて原告の右主張は採用しない。

(3)慰謝料  五〇〇、〇〇〇円

証拠によれば、原告は昭和三四年訴外太平住宅に入社し、昭和三六年妻悦美と結婚後両人の間に二児をもうけ一応不自由のない幸福な生活を過していたところ、前記の如く本件事故により入院期間五カ月を要する重傷を受け、退院後も左膝関節の屈曲制限および神経感覚麻痺に伴う不治の身体障害者になることへの不安、妻と二人の子供をかかえて将来の生活に対する焦慮等に襲われて苦しんだこと、復職後も一応従前の仕事にたずさわつてはいるものの、正座が不可能なので客との応接や公式の宴席等において劣等感に悩まされている事実が認められ、これに本件事故の態様、過失の程度その他の諸事情を考え合せると、金銭の支払をもつてその苦痛を慰謝すべきは当然であり、その慰謝料額は五〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。

六一部弁済等

請求原因四の事実(編注・請求原因 四、一部弁済等 原告は自動車損害賠償保険金四九〇、〇〇〇円を受領したので、右金員のうち六六、三八〇円を前記三、(二)(1)の損害に、その余の四二三、六二〇円を三、(二)(2)の損害にそれぞれ充当する。)は当事者間に争いがない。そうすると、原告の前記損害の残額は、積極損害が六一、四四〇円、得べかりし利益が七五二、六八三円となる。

七結論

よつて原告の本訴請求中、被告秀夫および被告忠之に対する自動車損害賠償保障法第三条に基づくものは、右被告ら両名各自に対し一、三一四、一二三円、被告秀夫に対する民法第七〇九条に基づくものは同被告に対し九一、五〇〇円および右各金員に対する本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四一年四月一日から各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を求める限度において理由があるのでこれを正当として認容し、その余の請求および被告薫に対する請求はいずれも失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項を適用して主文のとおり判決する。(五十部一夫 金田智行 大沼容之)

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